2009年06月29日

考古学の位置づけ

アメリカでは考古学は人類学の一部であるという見解が主流であるが、日本では従前より歴史学の一分野とみなされる傾向にあり、記録文書にもとづく文献学的方法を補うかたちで発掘資料をもとに歴史研究をおこなう学問ととらえられてきた。ヨーロッパでは伝統的に先史時代を考古学的に研究する「先史学」という学問領域があり、歴史学や人類学とは関連をもちながらも統合された学問分野として独立してとらえられる傾向が強い。
考古学は比較的新しい学問であり、18世紀末から19世紀にかけて地質学者のオーガスタス・ピット・リバーズ[3]やウイリアム・フリンダース・ペトリ[4]らによって組織的な研究が始められた。特筆すべき業績が重ねられいき、20世紀にはモーティマー・ウィーラーらに引き継がれた。
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日本では、動物学者であったエドワード・モースが1877年(明治10年)大森貝塚の調査を行ったのが、日本近代考古学のあけぼのとされる。しかしモースの教え子が本来の専攻である動物学に進んだため、モースが科学として開いた近代考古学は順調に進まなかった。第二次世界大戦が終わるまで日本の歴史学は、天皇制国家権力の厳しい監視下にあった。なかでも考古学は、皇国史観の歴史と真っ向から対立する客観的資料を学問の基礎に置くため、異常なほど厳しい社会的・政治的・イデオロギー的に制限が加えられていた。国立大学における考古学の講座は京都帝国大学にただ一つ存在した。帝室博物館などは、美術的・珍希的品々の収集と展示の場としてのみ存在した。このような環境において研究者は、皇国史観に積極的に妥協・追随する者も出た。しかし、一方皇国史観に反対し弾圧される者もいた。その他の大勢は、思想性を抜きにして、個々の事実に対する研究に終始した。そして、ごく少数であったが、戦後の考古学に継承するに足る成果を収めるものもあった。


2009年06月12日

デジタルコンピュータの意識

マシンが人工的に意識を持つにあたって、必須と考えられている意識の様々な面が存在する。Bernard Baars は意識が役割を果たす様々な機能を提案した。人工意識の目的は、それを含めた意識の各相をデジタルコンピュータのような人工物で合成することである。そのリストは完全ではなく、カバーされていない面も多々ある。

直観と意識を判定する一般的な基準は自己認識である。「conscious(意識がある)」の辞書の定義を見ると「自身の置かれた環境、自身の存在、感覚、思考を自覚する」とある(dictionary.com)。1913年版のウェブスターでは conscious を「内部の意識体験、または外部からの観測によって知識を有する; 認識がある; 気づいている; 分別がある」と定義している。自己認識は非常に重要であるが、それは主観的で検証しにくいと言えるかもしれない。

Igor Aleksander は人工意識の重要な能力として、将来の事象を予測することを挙げた。彼の Artificial Neuroconsciousness: An Update で「予測は意識の重要な機能の1つである。予測のできない有機体は意識に深刻な障害を負っているだろう」と述べている。創発主義者ダニエル・デネットは『解明される意識』で、予測に関連する「多元的草稿」モデルを提案した。それは、現在の環境に最も適した「草稿」を評価・選択するという考え方である。
バンジージャンプ
地球温暖化
体外離脱
白血病
花見
VDT症候群
元素周期表
油彩画
民話
翻訳
賃貸借
水上スキー
漢方薬
スキー
心療内科
妖怪
血液学
近畿地方
ウエストナイル熱
中国地方


もう1つの必要とされる面として「自覚; Awareness」がある。しかし、「自覚」についても定義上の問題がある。この問題を説明するため、哲学者デイビッド・チャーマーズは汎心論者の主張によればサーモスタットも意識があることになると逆説的に論じた(Chalmers 1996, pp283-299)。サーモスタットは、暑すぎる、寒すぎる、ちょうどよい温度という状態を持つ。猿の神経系をスキャンした実験によると、状態やオブジェクトではなくプロセスが神経を活性化させることが示された[7]。そのような反応は五感を通じて得られた情報に基づくプロセスのモデルによって説明されなければならない。そのようなモデルの作成には多大な柔軟性を必要とするが、予測を行うのに有益でもある。

意識を持つマシンは、個性を持つと考えられている。行動主義心理学では、個性は他者との関わりにおいて脳が生み出した錯覚であるとするやや一般的な理論がある。つまり、他者と関わりを持たない人間(および他の動物)は個性を持つ必要はなく、人間の個性は進化することはないだろうという説である。人工意識を持つマシンは、人間のオブザーバーと意味のある対話をする能力を有するものとする限り、個性を必然的に持つと考えられる。しかし、計算機科学者らが指摘するとおり、機械の個性を測るチューリングテストは汎用的に使える手法ではない。

2009年06月07日

自説が認められない理由付け

学会やマスコミ等で自説が認められない場合、陰謀論はその理由を説明する道具となる事がある。宇宙人、心霊現象、超能力といったオカルト分野や、いわゆる疑似科学(常温核融合や反相対性理論等)や偽史(超古代文明、宇宙考古学、古史古伝等)が認められない理由付けに利用される場合もある。そのため、一つの陰謀論を唱えていた人間が、複数の陰謀論を主張し出すパターンもある。
仏壇 健康 特産品 家庭教師 食品 語学 旅行 バスト 特産物 ダイエット 増客対策 若返り 行政書士 キャッシング 生活習慣病 子育て わきが 雑貨 学習指導 サプリ 音楽 スポット インプラント 交通地図 美容 賃貸 興信所 SEM促進 生命 アロマ 冠婚 美容整形 わきが 飲料水 楽器教室 癒し 学校 水族館 理容 プチ整形 ダイエット 資産運用 警備 わきが レストラン アロマ おもちゃ スクール 化粧品 学習

噂や都市伝説の背景を記述する場合や流行や風俗・文化等においても陰謀論が語られる事がある。このような場合は誤解、噂、ジョークとして扱われることが多い。例として「3S政策やウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムは日本を骨抜きにする為の米国の陰謀」、「ルービックキューブやテトリスの開発は西側の生産力を低下させる為にソ連が仕組んだ」、「外国産の煙草や清涼飲料水には男性の精力を減退させる成分が含有されている」等がある。

前述の諸性質もあり、信仰や思想、価値観や主義、主張、体制と反体制、マイノリティとマジョリティなどいかなるスタンスとも結びつきうる概念であり、しばしばそれらが生じた理由を説明する場合がある。

2009年04月24日

砦とキー・ビスケイン

1856年1月6日、ザミア(en:Zamia integrifolia)をマイアミ川(en:Miami River (Florida))の南に集めていた2人の男性が殺された。地域の入植者たちは、即座にダラス砦とキー・ビスケイン(en:Key Biscayne)に逃げた。オクセン・タステナッギーの下のおよそ20名のセミノールの一団は、ディナウド砦の外で木々を伐採していた巡視隊を攻撃して、6名のうちの5名を殺した。地域を防御するための民兵ユニットの配置があったにもかかわらず、セミノールはまたタンパベイの南の海岸に沿って強襲した。彼らは現在のサラソータ(en:Sarasota, Florida)で1人の男性を殺して家を燃やし、1856年3月31日に彼らは、現在のブレーデントン(en:Bradenton, Florida)にある、ジョゼフ・ブレーデン博士の農園の家である「ブレーデン城」を攻撃しようとした。彼らにとって「城」は強過ぎたが、彼らは7人の奴隷と3頭のラバを連れ去った。囚人と戦利品を背負い込んで、セミノールは速く動けなかった。彼らが見つけて虐殺した牛の肉を焼いて食べながらビッグ・チャーリー・アポプカ・クリークで休止していた間、民兵が追いついた。民兵は、2名のセミノールを殺して、ブレーデン博士の農園から連れて行かれた奴隷とラバを再び捕らえた。死んだセミノールの一人の頭皮はタンパに、もう一人のはマナティに掲示された。

4月に、正規軍と民兵は、居留地の中と周辺をパトロールしたが、少しのセミノールにしか接触しなかった。4月、6時間にわたる一戦がボウレグス・タウン近くで交えられ、セミノールが撤退する前に4名の正規兵が殺され、3名が負傷した。セミノールは、州の至るところで小さい襲撃を実行し続けた。1856年5月14日、15名のセミノールがタンパの北のロバート・ブラッドリー大尉の農家を攻撃して、2人の幼い子供を殺した。1名のセミノールはブラッドリーによって殺害された。第2次セミノール戦争の時に、彼がタイガー・テイルの兄弟を殺していたので、ブラッドリーはセミノールの報復の対象とされたと見られる。5月17日、セミノールはフロリダ中部で幌馬車の一団を攻撃して、3人の男性を殺した。軍が保護を提供することができるまで、タンパ発着の郵便と駅馬車のサービスは中断した。

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1856年6月14日、セミノールはミード砦から2マイル(3km)離れたところの農場を攻撃した。すべての世帯が家で安全にしていたので、彼らはセミノールを寄せ付けなかった。ミード砦へ砲火が聞かれ、7人の騎馬民兵がこれに応じた。3人の民兵が殺されて、他の2人が負傷した。これまで以上の多くの民兵がセミノールを追跡したが、突然の雨が彼らの火薬を濡らして、後退しなければならなかった。6月16日、フレーザー砦の20人の民兵がピース川に沿ってセミノールの集団を驚かせ、数名のセミノールを殺した。2人の死者と3名の負傷者を出した後に、民兵は撤退した。彼らは多くて20名以上のセミノールを殺したと主張したが、インディアンは4人の死者と2名の負傷者だけを確認した。しかし、死者のひとりはオクセン・タステナッギーであり、オクセン・タステナッギーは活発に入植地に対して攻撃を導く唯一の酋長と見られていた。

フロリダの市民は民兵に幻滅するようになった。民兵は一日か2日間巡視して、彼らの農場で働くために家に帰ること、そして彼らの怠慢、酩酊、および盗みに関する苦情があった。職員が必要な文書業務を提出するのは不本意であると報告された。最も重要な点では、民兵は入植者への攻撃を防いでいなかった

2009年04月06日

アイドル歌謡曲

アイドル歌謡曲(アイドルかようきょく)は、アイドルによって歌唱される歌謡曲のことである。「アイドル」という呼称が日本の芸能人にも一般的に使われるようになった1970年代から存在するジャンルだが、1980年代末にJ-POPが登場したのと入れ替わるように衰退した。

アイドル歌謡曲の繁栄は、歌手(アイドル歌手)の活躍だけではなく、レコード会社や芸能事務所、さらに作曲家や作詞家、音楽プロデューサーの活躍に負うところが大きい。1972年の新三人娘登場から 光GENJI絶頂の1988年までがアイドル歌謡最盛期であったという意見があるが、もちろん異論も存在する。

以下はアイドル歌謡曲とされる楽曲だが、これ以外にも多数のアイドル歌謡曲が存在する。また下記の曲でも「これはアイドル歌謡曲ではない」とする意見がある場合もある。アイドル歌謡曲という分野そのものはフォークソング ロック、ジャズ等のあらゆる分野の楽曲の融合体であり単独で存在しているものではない。全体の傾向としては1970年代の後半から1980年代の前半まではフォークソングを基調とした叙情を重視した楽曲が多数を占めていたが1980年代後半からはロック系の楽曲を基調とした洋楽やダンスミュージック等の影響を受けた楽曲のサウンド、コーラス等を重視した楽曲が増える傾向にあり後のJポップ隆盛の礎を築いたという見方もできる。 アイドル歌謡の典型的なものとして1メロが単調2曲中に盛り上がるキメが複数ある 3間奏や前奏が派手4アップテンポなどの特徴が挙げられる

分類される人物・グループ [編集]
※()内はデビュー曲(発売日「タイトル」)

1960年代 [編集]
ジャニーズ(1965年「若い涙」)
フォーリーブス(1968年9月5日「オリビアの調べ」)
森田健作(1969年4月5日「夕日の恋人」)

1970年代 [編集]
岡崎友紀(1970年3月5日「しあわせの涙」)
にしきのあきら(1970年5月1日「もう恋なのか」)
野村真樹(1970年6月5日「一度だけなら」)
小柳ルミ子(1971年4月25日「わたしの城下町」)
野口五郎(1971年5月1日「博多みれん」)
南沙織(1971年6月1日「17才」) 主な作曲家:筒美京平
天地真理(1971年10月1日「水色の恋」)
沢田研二(1971年11月1日「君をのせて」ソロ歌手としてデビュー)
西城秀樹(1972年3月25日「恋する季節」)
麻丘めぐみ(1972年6月5日「芽ばえ」)
森昌子(1972年7月1日「せんせい」)
郷ひろみ(1972年8月1日「男の子女の子」)
アグネス・チャン(1972年11月25日「ひなげしの花」)
桜田淳子(1973年2月25日「天使も夢みる」)
浅田美代子(1973年4月21日「赤い風船」)
山口百恵(1973年5月21日「としごろ」)
あべ静江(1973年5月25日「コーヒーショップで」)
フィンガー5(1973年8月25日「個人授業」)
キャンディーズ(1973年9月1日「あなたに夢中」)
城みちる(1973年12月20日「イルカにのった少年」)
あいざき進也(1974年1月25日「気になる17才」)
林寛子(1974年3月10日「ほほえみ」)
伊藤咲子(1974年4月20日「ひまわり娘」)
太田裕美(1974年11月1日「雨だれ」)
ずうとるび(1974年11月10日「みかん色の恋」)
岩崎宏美(1975年4月25日「二重唱 (デュエット)」)
岡田奈々(1975年5月25日「ひとりごと」)
ピンク・レディー(1976年8月26日「ペッパー警部」)
清水健太郎(1976年11月21日「失恋レストラン」)
榊原郁恵(1977年1月1日「私の先生」)
川崎麻世(1977年7月1日「ラブ・ショック」)
原田真二(1977年10月25日「てぃーんずぶるーす」)
世良公則(1977年11月25日「あんたのバラード」ツイスト)
渋谷哲平(1978年2月1日「朝日に向かって」)
大場久美子(1978年2月5日「大人になれば」)
石野真子(1978年3月25日「狼なんか怖くない」)
石川ひとみ(1978年5月25日「右向け右」)
倉田まり子(1979年1月21日「グラジュエーション」)
井上望(1979年5月25日「ルフラン」)

1980年代 [編集]
岩崎良美(1980年2月21日「赤と黒」)
松田聖子(1980年4月1日「裸足の季節」)
河合奈保子 (1980年6月1日「大きな森の小さなお家」)
柏原芳恵 (1980年6月1日「No.1」)
田原俊彦(1980年6月21日「哀愁でいと」)
三原順子(1980年9月21日「セクシーナイト」)
近藤真彦(1980年12月12日「スニーカーぶる〜す」)
伊藤つかさ(1981年9月1日「少女人形」)
沖田浩之(1981年3月21日「E気持」)
松本伊代(1981年10月21日「センチメンタル・ジャーニー」)
薬師丸ひろ子(1981年11月21日「セーラー服と機関銃」)
三田寛子(1982年3月21日「駈けてきた処女(おとめ)」)
小泉今日子(1982年3月21日「私の16才」)
堀ちえみ (1982年3月21日「潮風の少女」)
早見優 (1982年4月21日「急いで!初恋」)
石川秀美(1982年4月21日「妖精時代」)
中森明菜(1982年5月1日「スローモーション」)
シブがき隊(1982年5月5日「NAI・NAI16」)
原田知世(1982年7月5日「悲しいくらいほんとの話」)
わらべ(1982年12月21日「めだかの兄妹」)
伊藤麻衣子(1983年2月25日「微熱かナ」)
森尾由美(1983年5月5日「お・ね・が・い」)
風見慎吾(1983年7月21日「僕笑っちゃいます」)
野村義男(1983年9月1日「気まぐれONE WAY BOY」The Good-Bye)
チェッカーズ(1983年9月21日「ギザギザハートの子守唄」)
吉川晃司(1984年2月1日「モニカ」)
荻野目洋子(1984年4月3日「未来航海」)
岡田有希子(1984年4月21日「ファースト・デイト」)
菊池桃子(1984年4月21日「青春のいじわる」)
少女隊(1984年8月28日「FOREVER?ギンガムチェックstory? 」)
斉藤由貴(1985年2月21日「卒業」)
本田美奈子(1985年4月20日「殺意のバカンス」)
浅香唯(1985年6月21日「夏少女」)
中山美穂(1985年6月21日「「C」」)
南野陽子(1985年6月23日「恥ずかしすぎて」)
おニャン子クラブ(1985年7月5日「セーラー服を脱がさないで」)
河合その子(1985年9月1日「涙の茉莉花LOVE」)
うしろゆびさされ組(1985年10月5日「うしろゆびさされ組」)
吉沢秋絵(1985年11月1日「なぜ?の嵐」)
少年隊(1985年12月12日「仮面舞踏会」)
新田恵利(1986年1月1日「冬のオペラグラス」)
国生さゆり(1986年2月1日「バレンタイン・キッス」)
西村知美(1986年3月20日「夢色のメッセージ」)
ニャンギラス(1986年4月1日「私は里歌ちゃん」)
島田奈美(1986年5月21日「ガラスの幻想曲(ファンタジー)」)
福永恵規(1986年5月21日「風のInvitation」)
高井麻巳子(1986年6月25日「シンデレラたちへの伝言」)
渡辺美奈代(1986年7月16日「瞳に約束」)
渡辺満里奈(1986年10月18日「深呼吸して」)
内海和子(1986年11月17日「蒼いメモリーズ」)
酒井法子(1987年2月5日「男のコになりたい」)
うしろ髪ひかれ隊(1987年5月7日「時の河を越えて」)
森高千里(1987年5月25日「NEW SEASON」)
光GENJI(1987年8月19日「STAR LIGHT」)
工藤静香(1987年8月31日「禁断のテレパシー」)
Wink (1988年4月27日「Sugar Baby Love」)
西田ひかる (1988年「フィフティーン」デビュー)
男闘呼組(1988年8月24日「DAYBREAK」)
田村英里子(1989年3月15日「ロコモーション・ドリーム」)
CoCo(1989年9月6日「EQUALロマンス」)

1990年代 [編集]
高橋由美子(1990年4月21日「Step by Step」)
忍者(1990年8月22日「お祭り忍者」)
篠原涼子(1991年1月21日「恋はシャンソン」)
中嶋美智代(1991年1月30日「赤い花束」)
Mi-Ke(1991年2月14日「想い出の九十九里浜」)
SMAP(1991年9月9日「Can't Stop!! -LOVING-」)
スーパーモンキーズ (1992年9月16日「ミスターU.S.A.」)
1995年に安室奈美恵が脱退しソロになる。残されたメンバーはMAXを結成
Melody(1993年10月21日「素直に言えない?もっとそばにいたいけど?」)
TOKIO(1994年9月21日「LOVE YOU ONLY」)
内田有紀(1994年「TENCAを取ろう」)
安室奈美恵(1995年4月26日「太陽のSEASON」)
華原朋美(1995年9月8日「keep yourself alive」)
V6(1995年11月1日「MUSIC FOR THE PEOPLE」)
T.M.Revolution(1996年5月13日「独裁 -monopolize-」)
SPEED(1996年8月5日「Body & Soul」)
PUFFY(1996年5月13日「アジアの純真」)
広末涼子(1997年4月15日「MajiでKoiする5秒前」)
KinKi Kids(1997年7月21日「硝子の少年」)
Folder(1997年8月1日「パラシューター」)** 2000年Folder5に改組
DA PUMP(1997年6月11日「Feelin’Good?it's PARADISE?」)
モーニング娘。(1998年1月28日「モーニングコーヒー」)
鈴木あみ(現:鈴木亜美)(1998年7月1日「love the island」)
宇多田ヒカル(1998年12月9日「Automatic/time will tell」)
太陽とシスコムーン(1999年4月21日「月と太陽」)
カントリー娘。(1999年7月23日「二人の北海道」)
ココナッツ娘。(1999年7月23日「ハレーションサマー」)
嵐(1999年11月3日「A・RA・SHI」)
倉木麻衣(1999年12月8日「Love, Day After Tomorrow」)

2000年代 [編集]
Dream(2000年1月1日「Movin'on」)
コタニキンヤ(2000年1月26日「高熱BLOOD」)
氷川きよし(2000年2月2日「箱根八里の半次郎」)
ZONE(2001年2月7日「GOOD DAYS」)
EARTH(2000年2月24日「time after time」)
EE JUMP(2000年10月18日「LOVE IS ENERGY!」)
w-inds.(2001年3月14日「Forever Memories」)
松浦亜弥(2001年4月11日「ドッキドキ! LOVEメール」)
FLAME(2001年10月3日「ムネノコドウ」)
柴咲コウ(2002年7月24日「Trust my feelings」)
藤本美貴(2002年3月13日「会えない長い日曜日」)
Lead(2002年7月31日「真夏のMagic」)
タッキー&翼(2002年「Hatachi(アルバム)」)
melody.(2003年2月19日「Dreamin' Away」)
Berryz工房(2004年3月3日「あなたなしでは生きてゆけない」
NEWS (2004年5月12日 「希望〜Yell〜」)
東方神起(2005年4月27日「Stay With Me Tonight」)
伊藤由奈(2005年9月7日「ENDLESS STORY」)
Perfume(2005年9月21日 (「リニアモーターガール」)
AAA(2005年9月14日 「BLOOD on FIRE」)
WaT(2005年11月2日「僕のキモチ」)
AKB48(2006年2月1日「桜の花びらたち」)
KAT-TUN (2006年3月22日「Real Face」)
リア・ディゾン(2007年2月14日「Softly」)
℃-ute(2007年2月21日「桜チラリ」)
アイドリング!!!(2007年7月11日「ガンバレ乙女(笑)」)
Hey! Say! JUMP (2007年11月14日 「Ultra Music Power」)
羞恥心 (2008年4月9日 「羞恥心」)

マルトース テノール ショート セント エピロ フリンジ デネボラ ジャケツ モモアク ラウンド ドナー シニフィ きたひろ パンフォス デポ最新 ライス バラスト ワンレン ジュニ キメラ マスド ギブス スカブラ アーティ マーメイド ミサリー リンガイ マザー メーソン ウショウ ダイス ピンナップ ノック ランボ ノッポ プロフ あめだ スクラム インタ ヒップ スタイル シャベル ミール スポンジ ハティ アイホール リナム ハッスル サタン アフロ

2009年03月22日

1974年に玩具メーカーのトミー(現タカラトミー)

1974年に玩具メーカーのトミー(現タカラトミー) がトミーナインスケールブランドで一挙に9形式もの二軸貨車を同時発売して日本型車輌の製品化を開始した。トミーは1970年代初期以来アメリカのバックマン (Bachmann)社のNゲージ製品を輸入販売していたことから、バックマン製品と同様に香港のメーカーケーダーに製造を依頼した。線路やストラクチャー(建物)は、バックマン製品をトミーナインスケールパッケージに変更して流用していた。

1975年には、既に西ドイツのミニトリックスのNゲージ製品の輸入発売元であった学習研究社が、ミニトリックスのモーターを使用した0系新幹線を発売、日本型Nゲージに参入する。学習研究社は続いて国鉄583系電車、国鉄485系電車といった特急電車、国鉄EF57形電気機関車を発売した。

1970年代半ばには東京・板橋の模型店ホビーショップMAXが国鉄オハ61系客車のプラ製組み立てキットでNゲージに参入。まもなくグリーンマックス (GREEN MAX)と改名し、客車や電車のプラキットや日本型建造物のキットを続々と発売するようになった。

一方、関水金属は新規メーカー参入後も細密な新製品を発売して支持を拡げていった。細密度の向上は他社製品にも影響を与え、日本型Nゲージ全体の品質向上にも寄与している。特に1975年に発売されたキハ82系は薄型動力ユニット、はめ込み式窓ガラス、ライト点灯構造を採用するなど画期的構造を持つ製品である。これらの構造は自社の後続製品にとどまらず、他社製品においても後に採用するところとなり、現在においては日本形Nゲージ車両の標準的な製品構造となっている。需要の拡大に応じ関水金属は1980年に販売会社を分離し株式会社カトーを設立した。名称は関水にかわってカトーが一般に定着した。

1976年トミーはトミーナインスケールに代えてブランド名をTOMIX(トミックス)とした。製品についても海外生産依存を改め日本国内での生産を始め、日本形ストラクチャーも積極的に製品化した。特に自社開発による日本初の道床付レールシステムトミックスレールはNゲージ普及にきっかけを与えた。

1978年には、16番/HOゲージメーカーであるエンドウ (ENDO)がNゲージに参入。国鉄EF58形電気機関車と道床付線路システムを発売する。これらは他のNゲージ製品と異なり、同社の16番ゲージ製品と同じく金属プレスを主体とした構成であった。Nゲージ以前の日本の鉄道模型は大半が金属製品であり、当時の日本の鉄道模型ファンの一部にはプラ製品に対するアレルギーが存在した。そのため、同社製品はそういったファンの支持を受けるかとも思われたが、組立に手作業(はんだ付け)があるため他社のプラ製Nゲージと比較して割高であり、かつ金属プレスではNゲージのスケールでは細密感に限界があったためか、関水金属やトミー製品程の支持は得られなかった。そのため、EF57、DD51、24系客車、キハ30系気動車、9600型蒸気機関車、201系電車といった国鉄型から、次第に近鉄3000系、都営10-000系、京王5000系などといった、関水金属やトミーと競合しない私鉄電車に主力製品をシフトしていく。特に金属製品ならではの、メッキによるステンレス車体の表現はすばらしく、評価が高いものであったが、主流にはなれなかった。

イタリアのメーカー、リマが国鉄485系電車を発売したのもこの頃で、海外のメーカーが自社ブランドで日本型のNゲージを模型化することは、非常に珍しい。

1970年代後半からブルートレインブームとも連動したNゲージブームが社会現象となり、しなのマイクロ、プラモデルメーカーの永大 (EIDAI)がNゲージに相次いで新規参入した。
スキミン ソーター ブロッキ レニア ツーリング ナスカ イジェクト ビッグ カット 管弦楽団 ユース イブ日本 バンコ ゾーニング フルスピ モンテ サクラ キット モメンタム スラング 波間 ヒロポン ハシソウ プレース ジャル めんだ トラベラ パロディ タイプ オーバー ウィグ パキラ そらち ダラー シロッコ バーベナ ダーク フリー スーツ マウス ネクタ ネチズ ヨット バリ デリン ブルーデー フェルト イーブン ブライ にしままい

しなのマイクロはエンドウと同様に金属製品でNゲージ界に参入した。プレスを主体としたエンドウに対し、エッチング技術が得意だった同社は、16番ゲージの生産をほぼ中止してNゲージに移行したが、当初発売したED17、ED15などの旧型電機シリーズは、当時若年層が多かったNゲージユーザーの嗜好とは開きがあったためか、それほど人気とはならなかった。その後、国鉄157系、阪急6300系など新型電車をシリーズ化したものの、どうしてもプラ製品に比べて割高である上、ディテール表現に優れたプラ製品を見慣れたNゲージファンにはやはり物足りなく、1980年に倒産してしまう。同社はその末期に、他社同様のプラ製品で勝負しようと考えたと思われ、プラ製による国鉄EF64-1000番台電気機関車、国鉄ED78形電気機関車、国鉄185系電車等の発売を計画していた。これらのプラ製品は同社がプラモデルメーカーの有井製作所の傘下に入り、マイクロエースと改名した後に発売されている。なお、しなのマイクロは倒産直前に自社のNゲージ製品にマイクロクス (Mycrox)というブランド名を付けるなど、Nゲージ部門のさらなる拡充を目指していたようで、プラ製品の計画もその一環であろうが、出展を予定していた鉄道模型ショウ開催直前に同社が倒産してしまったため、計画の全貌が明らかになることは無かった。

永大はエーダイ・ナインのブランド名で、国鉄ED75形電気機関車、国鉄EF65-1000番台電気機関車、国鉄キハ58系気動車、国鉄キハ40系気動車、国鉄14系15型客車といった車輌を製品化したのみならず、TOMIX同様のプラ製道床付線路システムや、それと組み合わせる駅などの建造物も発売した。車輌の出来は当時のTOMIXよりも良い部分もあり、関水金属やトミーと並ぶNゲージ大手になるかと期待されたが、1980年に倒産。鉄道模型が原因ではなく、TVゲーム機での赤字が原因と言われている。

永大のNゲージ製品は学習研究社が引き取り、永大倒産時に製品化準備中だった国鉄キハ55系気動車、国鉄EF60形電気機関車も含めて「GAKKEN N」として、自社の製品ラインナップに加えることとなる。学研はその後も、サウンドシステムや2列車同時運転が可能な「ICSコントロールシステム」といった製品を発売するが、ファンの間に普及するには至らず、学習研究社自身による車両の新製品が企画されることもなくなってしまう。

1980年代に入り、やはり16番/HOゲージメーカーである中村精密(後の「ナカセイ」)がホワイトメタルを多用した金属製蒸気機関車でNゲージに参入する。ただし、しなのマイクロの旧型電機シリーズと同様、題材が渋すぎたのか、価格が高かったのか、当時はあまり人気が出なかった。しかしそれらの機関車に牽引させる素材として追加した、スハ32系客車のプラキットは、当時のGMのキットよりも部品精度がよく、ディテールの完成度が高いことなどから熱心なファンには歓迎された。スハ32系については相当な数の種類を製品化したものの、同社が本業(大手音響メーカーの有力な下請けであったと言われている)の不振により業務を縮小したことにより、結局数年で新製品の開発を停止した。同社の客車キットの金型はMODEMO(ハセガワ)に引き継がれ、現在では組立済み完成品として販売されている。

キ620形除雪車をプラスチック製完成品で発売したモア (MORE)や、プラモデルの技術を生かして本格的なNゲージの近鉄30000系プラキットを製品化した「オータキ」も、Nゲージ市場の拡大にあわせて参入したメーカーであるが、ともに一作のみで終わっている。またプラモデルメーカーの「童友社」も、バックマン製のアメリカ型車輛と線路、電池を電源とするコントローラーをセットしたNゲージセットを発売した。家庭用電源を使わないより玩具的な平易なNゲージシステムであったが、注目されること無く終わっている。

また、この頃工作派ファンに焦点を当てたパーツ会社も現れた。ナローゲージでその地位を固めていた乗工社からはD51重装備パーツ、C62-2改造パーツといった重厚な製品から、EF65-500にホワイトメタル製の貫通扉を貼り付けるEF65-1000改造パーツといった珍品まで発売され、また、銀河モデルからは、信号煙管や常磐線用列車無線アンテナ等の工作派マニア期待のパーツが製品化された。

工作派ファン向けの金属キットもこの頃から製品化されている。代表的なメーカーは中村精密、乗工社、奄美屋であり、中村精密は同一形式の蒸気機関車をキットと完成品の両方で発売している。他にエンドウやしなのマイクロの一部の製品も金属キットの形態で販売されたものがあるが、いずれの製品もあまり普及しなかった。

当時の「L特急・ブルートレインブーム」とあいまった「Nゲージブーム」の盛り上がりは相当なもので、プラモデルメーカーの中にもNゲージサイズのL特急やブルートレインのプラモデルを発売する会社が、「フジミ」・「バンダイ」・「アオシマ」の様に何社も現れた程である。 また、鉄道模型、とりわけNゲージをテーマとした書籍が子供向けから大人向けまで何冊も一般の出版社から刊行され、新聞にNゲージの通信販売の広告が載るなど鉄道模型界以外の企業も参加した大きなムーブメントとなった。

Nゲージブームによって増大したファンの中には若年層も多く見られ、鉄道模型誌のレイアウトコンテスト等にも10代の応募者がめずらしくは無くなった。小・中学生にもブームは波及し、この時期、友達同士で集まって車輛や線路を持ち寄りNゲージで遊ぶことが日常的に行われていた。

Nゲージに対する注目が増す中でNゲージメーカーの業界団体である「日本Nゲージ鉄道模型工業会」が発足してメーカーの垣根を越えてNゲージの普及と発展が目指された。また、1979年 (昭和54年)にはNゲージファンを対象に東京科学技術館、大阪科学館で日本鉄道模型ショーが開催された。鉄道模型ショーはその後も開催され続ける恒例行事になっている。

このように、ブームにより飛躍的に普及したNゲージであるが、盛り上がりは一時的なものにとどまり、期待された大衆的なホビーとして定着するまでには至らなかった。ブームのピークは1980年から1981年で1984年頃には終息を迎えた。

2009年03月07日

ボーグ級航空母艦

ボーグ級航空母艦(ボーグきゅう こうくうぼかん、Bogue class escort carrier)はアメリカ海軍で量産された護衛空母。量産された内34隻は、レンドリース法によってイギリス海軍に貸与、アタッカー級航空母艦またはアタッカー級護衛空母として使用された。

1940年、アメリカは参戦を行っていないもののレンドリース法を成立させることで、ドイツ海軍の潜水艦に苦しんでいたイギリスにチャージャー級航空母艦(チャージャー)を貸与し、イギリスはアヴェンジャー級航空母艦として投入した。しかし、貸与されたアヴェンジャー級はわずか3隻で、対潜水艦に投入できるギリギリの性能であった。

アメリカは自国で利用する護衛空母の建造を計画し、チャージャー級がすでに完成した戦時標準輸送船の改造であったのに対し、建造中の戦時標準輸送船を徴発してボーグ級として建造した。このボーグ級は航空機の格納庫やエレベーターを追加され、より空母に適した機能を加えることができた。間もなくアメリカが参戦、1942年から続々と竣工したボーグ級はアメリカ海軍で運用され、建造された45隻のうち、34隻がアタッカー級としてイギリス海軍で運用された。

排水量はわずか1万トンであったが、大西洋、地中海、インド洋、太平洋など世界中に渡って、船団の護衛任務に従事し、ドイツ海軍のみならず日本海軍の潜水艦も撃沈している。護衛任務だけでなく、上陸作戦の支援も行っており、損失したのはドイツ海軍潜水艦の雷撃で撃沈されたブロック・アイランド(USS Block Island, AVG-21/ACV-21/CVE-21)のみであった。

同型艦
ボーグ (USS Bogue, AVG-9/ACV-9/CVE-9/CVHE-9)
カード (USS Card, AVG-11/ACV-11/CVE-11/CVHE-11/T-CVU-11/T-AKV-40)
コパヒー (USS Copahee, AVG-12/ACV-12/CVE-12/CVHE-12)
コア (USS Core, AVG-13/ACV-13/CVE-13/CVHE-13/T-CVU-13/T-AKV-41)
ナッソー (USS Nassau, AVG-16/ACV-16/CVE-16/CVHE-16)
オルタマハ (USS Altamaha, AVG-18/ACV-18/CVE-18/CVHE-18)
バーンズ (USS Barnes, AVG-20/ACV-20/CVE-20/CVHE-20)
ブロック・アイランド[I] (USS Block Island, AVG-21/ACV-21/CVE-21)
ブレトン (USS Breton, AVG-23/ACV-23/CVE-23/CVHE-23/T-CVU-23/T-AKV-42)
クロアタン (USS Croatan, AVG-25/ACV-25/CVE-25/CVHE-25/T-CVU-25/T-AKV-43)
プリンス・ウィリアム (USS Prince William, AVG-31/ACV-31/CVE-31/CVHE-31)
スイート ビジブル 神の蔵 梅最適 ノマド 天空の城 ほない スポー メセナ ノーブル ルピア レシピ ビーエル ナビサド インテーク オーバー ベックス イッシュー ムラグ おのいして ガーベラ バターケ ピッチ リアフレ デルレイ ソシオ ひるぜん ストロ ビジョナリー ミブーツ デポジット フレッ シンフ マザー ウルク たつごう キヨス モルツ トゼブラ シェルタ マホメ ふたみ せっさ マヌカン レクチン クロヨン プラグ ナッシ トーチ リョウ

同型艦(レンドリースされた艦)
オルタマハ(USS Altamaha / HMS Battler)
チャージャー(HMS Chaser)名称はボーグ級から、アタッカー級となった。

トラッカー(HMS Tracker, BAVG-6 → D24)
オルタマハ (USS Altamaha, AVG-6/ACV-6/CVE-6)→バトラー (HMS Battler)
バーンズ (USS Barnes, AVG-7/ACV-7/CVE-7)→アタッカー (HMS Attacker)
ブロック・アイランド (USS Block Island, AVG-8/ACV-8/CVE-8)→ハンター (HMS Hunter)
ブレトン (USS Breton, AVG-10/ACV-10/CVE-10→チェイサー (HMS Chaser)
クロアタン (USS Croatan, AVG-14/ACV-14/CVE-14)→フェンサー (HMS Fencer)
ハムリン (USS Hamlin, AVG-15/ACV-15/CVE-15)→ストーカー (HMS Stalker)
セント・ジョージ (USS St. George, AVG-17/ACV-17/CVE-17)→パーシュアー (HMS Pursuer)
プリンス・ウィリアム (USS Prince William, AVG-19/ACV-19/CVE-19)→ストライカー (HMS Striker)
(CVE-22)(未命名)→サーチャー (HMS Searcher)
(CVE-24)(未命名)→レバイジャー (HMS Ravager)
チャタム (USS Chatham, AVG-32/ACV-32/CVE-32)→スリンガー (HMS Slinger)
グラシア (USS Glacier, AVG-33/ACV-33/CVE-33)→アスリング (HMS Atheling)
パイバス (USS Pybus, AVG-34/ACV-34/CVE-34)→エンペラー (HMS Emperor)
バフィン (USS Baffins, AVG-35/ACV-35/CVE-35)→アミール (HMS Ameer)
ボリナス (USS Bolinas, AVG-36/ACV-36/CVE-36)→ベガム (HMS Begum)
バスティアン (USS Bastian, AVG-37/ACV-37/CVE-37)→トランペッター (HMS Trumpeter)
カーネギー (USS Carnegie, AVG-38/ACV-38/CVE-38)→エンプレス (HMS Empress)
コルドヴァ (USS Cordova, AVG-39/ACV-39/CVE-39)→ケディーヴ (HMS Khedive)
デルガダ (USS Delgada, AVG-40/ACV-40/CVE-40)→スピーカー (HMS Speaker)
エジスト (USS Edisto, AVG-41/ACV-41/CVE-41)→ネイボブ (HMS Nabob)
エステロ (USS Estero, AVG-42/ACV-42/CVE-42)→プレミア (HMS Premier)
ジャマイカ (USS Jamaica, AVG-43/ACV-43/CVE-43)→シャー (HMS Shah)
キウィノー (USS Keweenaw, AVG-44/ACV-44/CVE-44)→パトローラー (HMS Patroller)
プリンス (USS Prince, AVG-45/ACV-45/CVE-45)→ラージャ (HMS Rajah)
ニアンティック (USS Niantic, AVG-46/ACV-46/CVE-46)→ラーニー (HMS Ranee)
パーディド (USS Perdido, AVG-47/ACV-47/CVE-47)→トゥランサー (HMS Trouncer)
サンセット (USS Sunset, AVG-48/ACV-48/CVE-48)→セイン (HMS Thane)
セント・アンドリュース (USS St. Andrews, AVG-49/ACV-49/CVE-49)→クイーン (HMS Queen)
セント・ジョセフ (USS St. Joseph, AVG-50/ACV-50/CVE-50)→ルーラー (HMS Ruler)
セント・サイモン (USS St. Simon, AVG-51/ACV-51/CVE-51)→アービター (HMS Arbiter)
バーミリオン (USS Vermillion, AVG-52/ACV-52/CVE-52)→スマイター (HMS Smiter)
ウィラパ (USS Willapa, AVG-53/ACV-53/CVE-53)→パンチャー (HMS Puncher)
ウィンジャー (USS Winjah, AVG-54/ACV-54/CVE-54)→リーパー (HMS Reaper)

2009年02月18日

わんことくらそう

人型の動物(主に犬と猫)が存在し、ペットとして人間と共存する世界。主人公・祐一は元々あまりペットに関心がなかったが、ある雨の夜、ゴミ捨て場で倒れていた人型の子犬を拾う。

その子犬は、体力が回復してもなぜか暗い表情で、多くを語ろうとしない。そして、子犬の本来の飼い主を捜す祐一が出会っていく、心優しい人々や人型ペットたち。その後、「みかん」という名前が分かった子犬は正式に祐一の飼い犬となり、祐一やその友人たちと心を通わせていく。

明確な「攻略キャラ」というものはないが、大きく「里沙ルート」と「撫子ルート」があり、後半のストーリーとエンディングもこの2つがベースになった2ルートになっている。

さらに、撫子ルートに進んだ場合、カイエの“発散”の相手としてクゥを選ぶか虎太郎を選ぶかで、エンディング後の内容が若干変化する。
ピンク バター 天使ノタ マルチ 華の段 メロン カーリング ゲットー バイオガス ハンカチ ハンドマ チューリン バナナ レパシー サープラ ロザリ キンリー ウエス シェリフ アンソ チェロ さらくやし ピーエル ギング モノキ トリポ ラップカ ハイデ 枸橘 高麗人参 リベラル ワイル ブレーキ ちょうせき トレーダー カモミー アージュ リム いっきく おのえ フィナーレ ゴニウム ノギス ソフト スポイル マベパール ラクトース きわの マフィン ングイン

Hシーンについては「動物に年2回訪れる“発情期”の発散」と、人間キャラとの関係で設定されている(人間どうし、人間とペット、ペットどうし、がそれぞれ存在する)。このため、少なくとも人型ペットの飼い主については、性的なものに関する考え方が大らかな世界となっている。

遊佐 祐一(ゆさ ゆういち)
声:なし
主人公の青年(プレイヤーキャラクターで、主にこのキャラの視点で物語が進む)。22歳。細身で、中性的な顔だち(かなりの美形)。髪は黒のショートで、瞳はグレー。「酒とタバコは18でやめた」と豪語している。
1.5流の国立大学、文系の3年生(大学入学前に2浪した)。エンディングでは、大卒後に大手の塾の講師として就職する。アルバイトとして、家庭教師3件と塾(小学生対象)の講師をこなす。ホスト時代と現在のアルバイトで、かなりの額の貯金を持っている。
真冬の冷たい雨の中、路地裏のゴミ捨て場に倒れていたみかんを保護する。当初は「預かりもの」感覚だったが、後に名実ともにみかんの「飼い主」となる。
ふだんからフェロモンの発散率が高く、それは人間の女性だけでなく動物たちにも催淫効果がある。
5歳の頃に両親に捨てられ、いわゆる水商売の女たちに育てられたという過去を持つ(中学まで、戸籍や保険証は偽造品だった)。そのため、異性に対する関心が薄い。その後、最もよく世話になった女性(恵子)の養子となっている。
水商売の世界で育った関係で、ホストの経験(中学から大学入学までの8年ほど)を持つ。源氏名は「隆平」だった。
基本的な教わりと独学で鍼の知識と技術があり、房中術のようなこともできる。里沙が首と肩を寝違えた時は、劇的な治療効果を発揮した。
みかん
声:木村あやか
人型の犬。6月18日生まれ。女の子で、名の通りのみかん色のショートヘア。頭頂部に、長いアホ毛が1束ある。また、耳の横だけは長く伸ばしている。瞳はライムグリーン。犬種はアイリッシュ・クラウン。ヨーロッパでは人気が高いが、日本では珍しい種類の中型の高級犬で、国内ではほんの数匹しか飼われていない。
飼い主だった美沙に「戻って来るから待っていて」と言われたままで、美沙を捜そうとして迷い犬になり、体力が尽きて死ぬ寸前だったところを祐一に助けられる。
みかん箱や隅っこなどの、狭いところが好き(落ち着くらしい)。祐一に拾われた直後は、みかん箱の中で縮こまっていた。非常に優しい性格で、飼い主には献身的に尽くそうとする(人間の役に立ったり、飼い主の言いつけを守ったりしてほめられることに無上の喜びと幸せを感じる)。肉よりも魚(特に焼き魚)を好む等、やや猫っぽいところもある。
散歩が好きだが、方向感覚が弱く迷い癖があるので、特に単独で知らない場所へは行けない。その代わりではないが、嗅覚は優れている。
美沙の死に対する心の整理がついた後、恩返しとして祐一(と里沙)と同居することになり、書類上は祐一のペットとなった(祐一の心情的には「預かりもの」であった)が、飼い主を引き継ぐはずの里沙がシルヴィの飼い主になってしまい、またシルヴィの買い取り代金を祐一が出したこともあって、名実ともに祐一のペットとなった。心が壊れかけていたシルヴィのケアを献身的に行い、シルヴィの姉といった自覚を持っている。
里沙ルートでは、心ない者たちにより転売目的で誘拐されるが脱走に成功、約5か月に及ぶつらい放浪の後、死にかけになりつつも祐一の元へと生還する。最終的には(里沙ルート・撫子ルートともに)セラピードッグの資格を取り、その優しさと経験を活かした仕事に就く。
桜海 里沙(おうみ りさ)
声:霞月沙耶
人間の少女。みかんの飼い主であった美沙の妹。朱茶色のロングヘア。青いリボンでツインテールにしている。頭頂部から長いアホ毛が2束、昆虫の触角のように出ている。瞳はマリンブルー。
行方不明になっていたみかんを捜していて、祐一と出会う。みかんが祐一と住むことになったため、何かと祐一の家に入り浸るようになる。後に、シルヴィの飼い主となる。
体育会系の元気娘で、口調も「?っス」が多い。思考はポジティブで、自称「100の取り柄がある」。女子校通い。初恋は小学校の先輩で、図書委員の人だった。実は小学校5年生の時、学級委員をやったことがある。掃除以外の家事全般が得意(部屋はよく散らかしている)。特に料理に関しては、小学生の頃からクラブは料理関係ひとすじで、見かけはともかく栄養満点のレシピを多数持っている上、新レシピの開発も熱心(ハズレは7%ほど)。その作品は「味の想像がつかない」ものが多い。
Hなことには興味が強く、苦労してアダルトグッズを集めたりアダルトビデオを借りたりしていた。
部屋の片づけをしている時、誤ってアダルトグッズを祐一の前でぶちまけてしまう。落ち着いて話し合った後は何かが吹っ切れ、祐一を「エロ師匠」と仰ぐ(“エロい師匠”ではなく“エロスの師匠”なので、「エ」にアクセントを置いて発音しなければならないらしい)。
祐一の家に入り浸るようになってからは、祐一に名前を借りてアダルトグッズを堂々と買ったり、アダルトビデオを借りるようになった。アダルトビデオは陵辱系と百合系が、本はボーイズラブ系が好み。
普段からよくエロいことを考えているせいか、フェロモンの発散が多め。祐一によると「青りんご系の甘酸っぱい匂い」らしい。
里沙ルートへ進むと、最終的には祐一と結婚する。また、結婚後は髪型がツインテールから姉の美沙に似た後ろで1束にまとめる形に変わる(アホ毛が2束なのは変わらない)。
シルヴィアーナ
声:黒崎猫
人型の犬。1月30日生まれ。愛称は「シルヴィ」。女の子で、金桃色のロングヘア。リボンで細かくまとめている。瞳は明るいマリンブルー。犬種はゴールデンシーズのパストラルシンフォニー血統で、ショードッグとして超人気の小型犬。
口数が少なく物静か。知能があまり高くなく、人語はカタコトで漢字も読めない。表情の変化も少なく一見やや冷たい印象を受けるが、実は感受性は非常に豊かで、みかん以上の優しさを持つ。
みかん以上に猫っぽいところがあり、しばしば「にゃー」と鳴いたりもする。近所の猫たちとも仲よし。飼い主は里沙だが、みかんが祐一を「ご主人様」と呼ぶので、シルヴィも祐一を「ごしゅじんさま」と呼び、里沙のことは「りさちゃん」と呼んでいる。
ショードッグコンテスト向きの犬種だけに、何を着せても合うが、色白で上品な雰囲気のため、特にゴスロリ系の服が似合う。里沙ルートではみかんと一緒にメイド服姿を披露する。
ペットショップ望月から、豪田夫人という成金オバサンにコンテスト用として売られた。その時の代価はワクチン代込みで343万7230円(ただしこれは格安で、通常は500万円を超える)。
コンテストでの成績が振るわなかったため、無理矢理“子作り用”にされかけ、心も壊れかけていたが、この扱いを問題と考えた祐一・里沙・クゥたちにより救い出され、里沙のペットとなる。里沙のペットとなってからは、知り合いの人やペットたちに囲まれ、少しずつ健康な心を取り戻していった。
望月 撫子(もちづき なでしこ)
声:深井晴花
祐一の近所のペットショップ「望月」の店主。一見、中学生のような幼い外見の女性だが、実は32歳。しかも独身。栗色のショートヘア。瞳は橙色。おでこが少し広く、やや赤面症。
人型ペットの飼い主としては初心者である祐一のよきアドバイザーであり、相談相手でもある。
虎太郎の飼い主で、自宅では他にも多数の犬(人型ではない)をはじめとする多くの動物を飼っている。昔、凶暴だった虎太郎を厳しくしつけ、その際に腕などに多くの傷を受けている。
仕事の疲れが溜まり、身体中が凝っていた(祐一によると「皮膚のすぐ下にアスファルトが入ってるみたい」)。65分をかけた祐一のマッサージで溶けてしまい、虎太郎が心配するほどだった。酒を飲むとからみ、泣き、時に暴れる。酒自体にはあまり強くなく、少し多めに飲むと寝てしまう。
店は、前の店主だった祖父が入院した時に継いだ。大学(経営学部)卒業の直前で、卒業後は店の経理担当として入る予定だった。
仕事柄、嗅覚はあまり鋭くはなく、そのためニンニク味噌で強化された祐一のフェロモンにも反応しなかった。
独身であることに関する話題はタブー。初恋は小学校の頃の担任の先生だった。恋愛経験は数多くあるが、ことごとくダメだったらしい。
撫子ルートへ進んでも祐一と結婚はしないが、別の男性(祐一より年下の、ペットショップの短期アルバイト)と結婚して2児をもうける。
虎太郎(こたろう)
声:悠
人型の犬。5月14日生まれで、作品中で唯一、誕生日パーティを開いてもらえる。女の子で、青色のロングヘア。髪はまとめずのばしている。一人称は「虎太」。瞳はゴールド。犬種はハイランドウルフハウンドで狩猟用の大型犬。
撫子の飼い犬で、撫子を「おかーさん」と呼んで慕っている。撫子が「いじめられた」と感じると、すぐに出現して注意する。また、撫子のペットとしては、唯一の人型。
ふだんは撫子の店を手伝い、売り物の動物の散歩や重い商品の運搬などをしているが、時々警察犬の仕事もしている。地図を読むことができ、車のナビゲータもできる。特に年下や目下には、素直であることを求めることが多い。
犬種的にあまり知能は高くなく、人語は苦手でカタコト。文字も、漢字はほとんど読めない。面倒見がよく、みかんやシルヴィには、犬社会の様々な知識を教えた。特にみかんには姉のように慕われている。元々が狩猟犬なので握力は400kgもあり、本気で戦うと相手が熊や虎でも負けることはない。祐一からマッサージのテクニックを教わり、撫子の凝りをほぐしたりもしている。
幼い頃から凶暴で、初めて売られた先から脱走、その後に入れられた訓練所も脱走し、頭がおかしいと思われて薬殺されそうになったところを、撫子に引き取られた。虎太郎という男前な名前は、あまりの凶暴さのため撫子が男の子と思い込んでつけたもの。撫子のもとで、優しくまた厳しくしつけられ、落ち着いた性格になった。
警察犬訓練所に2年通い、様々な訓練を受けた。その甲斐あって卓越した追跡・捕獲能力を備え、一級警察犬の資格を持っている。カイエの実親であるクリーエンVI世の指導を受けたこともある。弟分であるカイエの教育をしたが、警察犬の階級を追い抜かれた上、カイエ自身がやや慇懃になってしまい、虎太郎に甘えることがなくなったので、カイエとはあまり仲がよくない。
睦月 かな(むつき かな)
声:みる
小学生の少女。祐一にとっては、大家の娘であり、塾の生徒であり、家庭教師の教え子である。クゥの飼い主。祐一がみかんの飼い主となってからは、人型ペットの飼い主どうしという関係もある。ピンク色のショートヘア。頭頂部の左右で、黄色のリボンで結んで小さな房を2つ作っている。瞳は赤。口元に光る八重歯がチャームポイント。基本的に明るく素直な元気娘で、いつも動きやすい服装をしている。
自称「ジャンクフードグルメ」。特に、新作のお菓子類の情報に詳しい。
大家の娘だからというわけではないが、祐一の部屋には出入り自由。留守であっても、鍵がある場所を知っているので、気にせず入っている。クゥとともに、以前から祐一にペットを飼うように勧めていた。また、シルヴィと出会う前の里沙にもペット飼育を勧めている。
ペットの飼い主としての経験が長く、祐一の相談を受けることもある。クゥをとても大切にしているが、まだクゥの発情期の処理ができるほどではない。
耳がよく、同じ室内にいれば、小声での会話もだいたい聞き取れる。他人の心情をかなり正確に読み取ることができ、祐一に「あと数年もすれば男を手玉に取りまくるだろうな」と思わせた、ある意味末恐ろしいお子さまでもある。
星華には、ちょっと苦手意識を持っているが、最終的には友達になる。
里沙ルートでは、祐一の心情を読み取り、クゥともども里沙との結婚を勧めた。
クゥ
声:萌木唯
人型の猫で、かなの飼い猫。女の子で、やや青みを帯びた黒いサラサラのロングヘア。瞳は金色。
自他ともに健康には気を遣い、祐一が外食で適当なものを食べたりすると「またそんな栄養の偏ったものを」と、やんわり注意することもある。クゥ自身は、健康なことの証明であるビロードのような毛づやが自慢。服は、体毛に合った黒系が好み。赤いリボンタイを愛用する。種類はベルクトノワールという高級種。
猫としてはもちろん、人型ペットとして驚異的な知能を持ち、人間と同等以上の優れた知性と知識を持つ天才猫。人語を完璧にあやつり、難しい本でも読むことができ、実際に数々の本を読んで知識を増やしている(単に天才なだけでなく努力もしている)。
かなに対しては、知識を伝える先生役になることもあるが、基本的には「飼い主と飼い猫」という関係をわきまえ、かなを大切なご主人と慕っている。
祐一や里沙には、主に「人型ペットの立場から」様々なアドバイスを与える。真面目な話をする時以外は、猫らしい「のんびり、おっとり」な言動が多い。また、猫の特性を使って、他のペットたちの状況をのぞき見することもある。
猫としては非常に珍しい、軽作業犬資格を持っている(猫はほとんど作業資格を取得しないため、犬と同じ資格になっている)。また、国内に数匹しかいないという「警察猫」になれるだけの高い能力があるが、「いつも飼い主のそばにいて、愛らしいしぐさで飼い主をなごませること」が重要と考えていて、警察猫になる気はまったくない。
公園が好きで、のんびりしたい時や発情期のもやもやがある時は、公園でふだんは見せないような猫っぽい姿をさらしていたりする。飼い主どうしよりも、カイエとは仲がいい。
天堂寺 星華(てんどうじ せいか)
声:風音
かなの同級生でカイエの飼い主。ゆるくウェーブのかかった金髪のロングヘア。頭頂部の少し後ろで、赤いリボンでまとめている。瞳は明るい紫色。
父親は警察の官僚で、お嬢様。みかんの飼い主捜しに、警察関係者として力を貸したことが祐一との最初の出会い。まだ子どもだが、嗅覚が鋭く、祐一のフェロモンを敏感に感じ取り、祐一に一目惚れした。
お嬢様らしいところもあるが、決して嫌味なところはなく、素直な性格。生魚が苦手。
成績は優秀だが、祐一が好きなので、必要もないのにかなと同様の塾通いと、祐一の家庭教師(週2回)を受けている。祐一の部屋に入り浸っている里沙に、ライバル心を燃やしている。
カイエ
声:彩世ゆう
人型の犬。男の子で、青みを帯びた白銀色の髪。瞳はライトパープル。色白で、上品さを漂わせている。犬種はスコティッシュシェパード。作業犬向きの中型犬種。
賢く、また冷静な性格で、飼い主の星華を深く慕っている。それは単なる優しい飼い主というだけではなく、愛情を感じているほど。犬としては、みかんにも愛情を感じている。
特級警察犬の資格を持ち、自身が警察犬として働くだけでなく、後進の指導にも当たっている。クリーエンという名犬(約80年前に活躍したウルフハウンド)の、ほぼ直系の血筋。親はクリーエンVI世と呼ばれ、カイエ自身はクリーエンVII世の有力な候補。
小さい頃は、虎太郎に教育された。しかし、今は虎太郎とは少し距離を置いていて、あまり仲はよくない。

その他のキャラクター
桜海 美沙(おうみ みさ)
里沙の姉で、みかんの本来の飼い主。里沙と同じく、朱茶色の髪。全体にショートだが、後ろだけは長く伸ばし、青いリボンで1束にまとめている。頭頂部から1束の長いアホ毛が出ている。とても優しく、穏やかなでおおらかな性格。みかんにとっては忘れられない、大切な人。
小中高と私立校、大学は国立大に通い、一流企業に就職した才媛。しかし、会社勤めを辞めて、自分の希望でもあった翻訳家になっていた。
翻訳を担当した作品がブレイクし、多額の報酬を得たが、そのほとんどを費やしてみかんを購入した。
みかんに「待っていて」と言い残して、用事に出かけたものの、戻る途中で交通事故に遭い、若く短い生涯を閉じてしまった。現在は、公園に併設の墓地に葬られている。実家の桜海家(仏教)と違い、クリスチャンとしての洗礼を受けていたため、生前に自分用の墓地を別に買っており、そこに墓が建てられた。
豪田夫人(ごうだふじん)
成金の夫人らしく、でっぷりと太っている(里沙には「あざらし」、祐一には「豚」の印象を与えた)。何かと「ブフー」という声を発する。口調は、もちろんザマス調。
愛車は高級車だが、外装がゴールドとピンクという、いかにも成金好みの趣味が悪いもの。
ショードッグ・ブリーダーを自称しているが、実際には出入りの訓練師が調教していて、本人は何もしていない。もちろん、ブリーダーとしての知識も技量もまったくない。
シルヴィほか、飼っていた犬たち(大型6匹、中型8匹)をおよそ700万円で祐一に売り払ったが、祐一の企みにはまり、多額の代償を支払うことになる。
恵子(けいこ)
祐一の育ての親で、祐一を養子にした女性。愛称は「ケイちゃん」。祐一に、社会の最底辺でも生き抜くための術をたくさん教え込んだ。
水商売の出身で、今はオーストラリア在住。里沙ルートでは、祐一と里沙の結婚を二つ返事で了解した。
声は出るが、担当声優は明らかにされていない。
千夏・美保子・純一
祐一が講師をしている塾の生徒たち。かなとは仲よし。美保子は他人のペットへのプレゼントが好きで、クゥに猫クッキー、シルヴィにリボンをプレゼントした。
ココア
発情期の対処でペットショップ望月を訪れていた、人型の女の子の猫。祐一のマッサージ(ツボ押し)テクニックで“発散”できた。
声は出るが、担当声優は明らかにされていない。
カズミ
豪田家の家政婦。優しい女性で、豪田夫人によるシルヴィや犬たちに対する扱いに、心を痛めていた。豪田夫人の目を盗んで里沙とシルヴィを会わせるなど、シルヴィの救出に手を貸した。
てつや
ペットショップ望月の男性店員。25歳。猫が大好き。荷出し担当で、商品の知識は豊富で詳しい。

おもな舞台
東桜坂(ひがしさくらざか)
祐一の家やペットショップ望月などがある、物語全体の舞台となる町。都会から少し離れた、郊外…というより、片田舎の町である。
駅前には「東桜丘商店街」がある。
祐一の部屋
祐一が借りて住んでいる。オーナーはかなの家である睦月家。
建物は全体が賃貸で、1Fが店舗スペースでスーパーマーケットの「スーパーニシムラ」、2Fが祐一のプライベートエリアと塾の教室となっている、ちょっと変わった構造。
祐一のプライベートエリアには、リビング・ベッドルーム・キッチン・バス・トイレ・広いベランダの他、後に里沙が自室にしてしまう部屋(本来は客間)が1つあり、大学生の1人住まいとしてはかなり広い(みかん、里沙、シルヴィが来てからは少々手狭?)。
ベッドはセミダブルだが、祐一・里沙・みかん・シルヴィの2人と2匹が同時に寝ると、ペットがそれぞれの飼い主と抱き合っていても、さすがに狭い。
塾に関しては、みかんが元気になりシルヴィが来てからは授業終了後に「おやつタイム」が設けられ、みかんやシルヴィと遊びながらお菓子やお茶が楽しめるので、人気が高まり生徒が増えている。
ペットショップ望月
撫子が店主を務めるペットショップ。祐一の家からは歩いて行けないこともないが、車で行きたくなる程度の距離がある。
店主の撫子のほか、従業員7名、パート5名が働いている。時に、祐一や里沙がアルバイトもする。
町の幹線道路に面しており、すぐ近くにバス停がある。
店内にはペットフード、ペット用品の他、獣型ペット用のケージがある。人型ペットも扱うが、基本的に注文による取り寄せとなる。
獣医師が常駐している。また店の裏手にはペット同伴OKの広い喫茶スペースがあり、ペットショップとしてはかなり充実している。
売り物の獣型ペットたちは、虎太郎が毎日散歩させている。
望月家
撫子の自宅で、古めかしい2F建の日本家屋。町の中心からは離れているようで、閑静な環境にある。
犬猫をはじめ、多数の獣型ペットを飼っている。ペットたち専用の部屋や、ペットたちが遊べる広間もある。
敷地は広く、庭でペットたちが走り回ることができる。
美沙の部屋
美沙がみかんと住んでいた部屋。かなり高級なマンションの1室。
祐一の部屋の近くにあり、美沙が亡くなった後も里沙が泊まったりしていた。
睦月家
かなの自宅。かな、クゥ、かなの両親が住む。
様々な事情により、各部屋は防音のいい構造になっている。
祐一は、かなの家庭教師で定期的に訪れる。
祐一の部屋からは、車かバスを利用したい距離にある。
天堂寺家
星華の自宅。広い敷地に大きな屋敷が建ち、ヨーロッパの邸宅のような風情。
多数の使用人が勤めていて、星華は文字通りの「お嬢様」である。
星華の自室は広く、ベッドは天蓋つき。
カイエの他、動物型の犬を2匹飼っている。カイエより年上のジェリー、年下のジョナサン。ジェリーはもと警察犬で、ジョナサンは警察犬の候補。犬種はどちらもジャーマン・シェパード。
公園
町の中央通りに面した、広い公園。みかんたちの散歩エリアの1つ。
クゥのお気に入りの場所で、クゥが昼寝をしている光景がよく見られる。
隣の、緑のアーチをくぐった先には公園墓地があり、そこには美沙の墓がある。
里沙ルートに進むと、美沙の墓にはいずれみかん、シルヴィ、里沙、祐一が入ることになるらしい。
河原
祐一の部屋からは散歩エリア内にある、大きな川のほとり。
ドッグランが整備されていて、運動好きなペットを遊ばせるには最適の場所。
訓練所
警察犬や作業犬の訓練所。人型ペットの各種資格の試験場にもなる。
虎太郎とカイエが訓練や指導をしたり、みかんが資格試験を受けたりした。
公開訓練といったイベントが行われることもある。
桜海家
里沙の実家。東桜坂からは約100km、県が2つも離れた場所にある。現在は、里沙の両親だけが住んでいる。
豪田家
シルヴィがペットショップ望月から買われて行った家。西丘二丁目にある。
金持ちの家らしく、玄関は道路から一段高く、また外装はレンガ風の洋風邸宅。
家政婦が勤めている。かつてはペットの訓練師も出入りしていたが、夫人と方針が合わず解雇されてしまった。

2009年01月28日

河原山城の戦い(かわらやまじょうのたたかい)

河原山城の戦い(かわらやまじょうのたたかい)は天正13年(1585年)7月に伯耆国汗入郡の河原山城で起きた戦い。伯耆国における中世最後の戦いといわれる。一部の書籍では香原山城の戦いともいわれる。『陰徳太平記』では南条元続が河原山城を直接攻撃したと書かれているが元続は実際に出兵を行ってはいない。

この河原山城の戦いは伯耆国内での中世最後の戦いと言われるが、戦いに至るまでに次のような経緯が存在した。
ワンス ボデオ モンクレ シガト ドレア パーコレ スタート メジャー ピーエイ ソフトダ ロッド たむぽえ フレム パンジー 羅生門 ブリスベ 便利に イチゴ ストッ ニット えいか ハンド ジース カーネリ ドラー あいら パンゲア オブラ ジンサ スカジー ドルペッグ うたまくら えいこう モルディブ たいゆう ニオブ 美女と野獣 ドーマ トップ トパイ ダウンベ ナビルポ ナトリ ろぎょ オーニソム 雪舞い マルチ タイトルラ トリ キャメ

京芸和睦の成立
天正7年(1579年)の毛利氏からの南条氏離反を発端とする「南条対毛利」の戦いは同13年(1585年)1月にいわゆる「京芸和睦」が正式に確定したことによって終結をむかえた。

南条氏の八橋城回復戦
南条元続はそれに先立つ天正11年(1583年)の末に帰国しており、暫定的な形ではあるものの八橋城を除く東伯耆3郡を同12年(1584年)1月頃には毛利氏より引き渡されていた。帰国後の南条氏は、毛利氏に属したままだった八橋城回復[1]のため奔走、尾高城の奪還を目指す行松氏[2]を支援するなどした結果、天正13年の春には念願の八橋城回復に成功した。その後の南条氏は行松氏を背後から支援する形で西伯耆における毛利氏支配に揺さぶりをかける行動を行うようになった。

戦いの経過
天正13年の7月、毛利氏の四国征伐に伴う出兵で西伯耆の軍勢が手薄になっている隙に南条元続支援の行松氏は1000余騎を率いて福頼左衛門尉元秀の守る汗入郡の河原山城を攻撃、これを落城させた。この一報に驚いた吉川元春は弟の毛利元康を出兵させ、多数の支援部隊を送り込んでただちにこれを回復した。行松氏は成果を挙げられないまま、7月15日には羽衣石城へ退却していった。

その後の影響
この戦いの後、南条氏は再び西伯耆へ進出することは無くなり、史料上ではこれ以後の合戦は確認されていない。[3]これにより文明年間から約100年間続いた伯耆国内での戦国動乱の時代もようやく終わりを迎えることになった。

^ 京芸和睦により南条氏には東伯耆3郡(八橋城のある八橋郡を含む)が与えられたが、八橋郡の重要な軍事拠点である八橋城を毛利氏が管理することは南条氏の八橋郡支配に何らかの影響が出ることは明らかであった。加えて天正10年に吉川氏によって羽衣石城を落城させられたトラウマを持つ南条氏にとって所領内に毛利氏の軍事拠点が存在することはなんとしてでも避けたいものであったことと思われる。これらの理由が南条氏を八橋城回復のために奔走させたと推察される。
^ 行松氏は元守護山名氏の血を引く国人であり、永正から天文年間にかけての尼子氏の伯耆侵攻で尾高城を追われていた。
^ 南条・毛利間の争いはこれ以後確認されていないが、毛利氏はこれを教訓に出雲国十神山城を強化するなど対策を行っている。なお、天正20年(1592年)1月12日の段階で毛利氏は伯耆国内に尾高城、黒坂城、手間城、法勝寺城、日野の5ヶ所の城を保有している。天正13年春の時点で南条氏が奪回した八橋城の名は見えないことから、毛利氏は八橋城を取り戻す行動には出ていなかったことが分かる。

人取橋の戦い(ひととりばしのたたかい)は、天正13年11月17日(1585年1月6日)に、伊達政宗が蘆名氏・佐竹氏の連合軍を押しとどめた戦い。

背景
奥州探題を自任し、その職の実効範囲を拡大しようとする伊達政宗と争って苦境に立たされた二本松城主・畠山義継は、天正13年10月8日(1585年11月29日)、政宗の父・伊達輝宗を拉致しようと図るが、伊達の追っ手によって輝宗・義継ともに非業の死を遂げた。

怒り狂った政宗は父の初七日を待って、父の仇とばかりに二本松攻めを断行する。伊達政宗は1万3千の兵を率いて二本松城を攻囲するが、畠山氏は義継の遺児・国王丸を擁して立て籠もった。城が落ちないまま1ヶ月が過ぎた頃、南奥に勢力圏を確保していた佐竹義重が、畠山氏救出の名目で蘆名氏・石川氏・二階堂氏・白河結城氏・相馬氏・岩城氏などの諸氏を糾合して3万の連合軍を結成し、須賀川に向けて進軍してきた。

連合軍進軍の報を知った政宗は1万3千の軍を二手に分け、8千の軍勢とともに連合軍迎撃のため岩角城を経て本宮城に入った。

11月17日、政宗は本陣を本宮城外の観音堂山に進め、人取橋付近でついに伊達軍と連合軍は激突する。伊達軍と連合軍の兵力差は8千対3万と3倍以上であった。

戦いは終始伊達軍の劣勢で進み、伊達軍は人取橋を挟んで防戦に終始したが、伊達の本陣まで敵が迫っていた。政宗自身も鎧に矢を1筋、鉄砲5発を受けた。伊達軍は敗走を重ね、鬼庭左月をはじめ多くの犠牲者を出した。瀬戸川館に陣を布いていた伊達成実も挟撃を受け、それでも退かずに討ち死に覚悟で奮戦した。伊達軍は壊滅寸前にまで追い込まれたが、幸運にも壊滅前に日没を迎えたため、連合軍はいったん引き上げた。なんとか1日は凌ぎきったのである。

明けて18日、伊達軍にとっては奇跡とも思える出来事が起きる。一夜にして3万の連合軍が撤退していたのである。政宗は岩角城へ引き上げ、連合軍の様子を伺いつつ、小浜城へ移った。

連合軍の主力は佐竹氏だったが、佐竹氏の将総帥・佐竹義政(義重の叔父)が家臣に刺殺されるという事件が発生し、さらには留守の本国常陸に隣国の里見氏らが攻め入る動きを見せたのだった。この報を知った義重は一夜にして撤退を決めた。盟主と仰ぐ佐竹氏が撤退すると、他の諸氏も各々撤退に入った。こうして3万の軍勢は一夜にして伊達軍の前から消えた。

佐竹氏の本国急変は実は政宗による裏工作があったのではないかという説や、伊達本国を攻めた場合の伊達家出身の諸将(岩城親隆・石川昭光)の離反を危惧したのではないかとの説がある。

結果
この年は閏月があったので旧暦11月は真冬にあたり、政宗はとりあえず二本松攻めも中断し、小浜城で年を越した。この戦以降、佐竹氏は後北条氏の下野進出などの関東情勢の変化のため、伊達氏に対する積極的軍事行動をとれなくなる。伊達氏は従前のように南下路線を継続し、南奥の検断実行にひとまずは成功する。

合戦が行われた福島県本宮市の国道4号線沿いには、戦死した伊達氏家臣・鬼庭左月の墓と古戦場跡碑が残る。

天正10年(1582年)3月、織田信長が行った武田征伐により武田氏は滅亡。甲斐から信濃、上野に及んだ武田遺領は織田家家臣に分与され、武田旧臣の信濃国人衆らは織田政権に臣従した。同年6月に京都で織田信長が横死(本能寺の変)し、武田遺領が空白状態となると越後の上杉景勝や相模の北条氏直、徳川氏など近隣勢力が侵攻し、武田遺領を巡る天正壬午の乱が起こる。

甲斐を制圧した徳川家康が南信濃へ、上杉氏は北信濃へ、そして北条氏は上野国から碓氷峠を越えて東信濃へと侵攻した。このとき東信濃から西上野に勢力を保っていた真田昌幸は北条方に属するが、徳川が東信濃に侵攻してくると徳川方に寝返る。

10月には徳川・北条の間で和睦が成立するが、その和睦条件として徳川傘下となっていた真田氏の上野沼田領と北条氏が制圧した信濃佐久郡を交換することとした。

翌天正11年から昌幸は上田城の築城に着手しており、沼田領や吾妻領を巡り北条氏と争っていた。

天正13年(1585年)には甲斐へ着陣して昌幸に沼田領の北条氏への引き渡しを求めるが、昌幸は徳川氏から与えられた領地ではないことを理由にして拒否し、さらに敵対関係にあった上杉氏と通じた。同年7月、浜松に帰還した家康は昌幸の造反を知ると八月に真田討伐を起こし、家臣の鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉ら約7000の兵を真田氏の本拠・上田城に派遣する。

徳川軍は甲斐から諏訪道を北国街道に進み、上田盆地の国分寺付近に兵を展開。これに対して真田方は約2000人であったと言われ、昌幸は上田城に、長男の信幸は支城の戸石城に篭城した。また支城の矢沢城には、昌幸の従兄弟矢沢頼康が上杉の援兵と共に篭城した。

閏8月2日に上田城に攻め寄せた徳川方は、二の丸まで進むがここで反撃を受け撃退される。更に後退の際に城方の追撃を受け、戸石城の信幸も横合いから攻めるに及びついに壊乱し、追撃戦には矢沢勢も加わり神川で多数の将兵が溺死した。この真田方の地の利を活かした戦法により、徳川軍は1300人もの戦死者を出したと言われる[1]。一方、真田軍はわずか21?40人ほどの犠牲ですんだ。

翌日、徳川方は近隣の小豪族で真田氏に味方した丸子氏(後、真田氏に臣従)の篭る丸子城を攻めるが、これも要害と頑強な抵抗に阻まれ攻略できず、以後20日間程対陣を続ける。この間に上杉勢援軍との小競り合いや更なる増援の報に接し、家康は援軍(井伊直政(一部部隊は当初より参陣)、大須賀康高、松平康重の5000)を出すと共に一時撤退を下令、これを受け徳川軍は28日に上田より撤退した。その後も、大久保忠世ら諸将は小諸城に留まり真田勢と小競り合いを繰り返すも、11月には譜代の重臣石川数正が豊臣家に出奔する事態に至り、完全に撤退することになる。

合戦の記録は真田家の『真田軍記』ほか、徳川方の『三河物語』にも記されている。この戦いで昌幸は優れた智謀であると評されることとなる。また、この合戦によって徳川家康の真田氏に対する評価は高まり、結果として本多忠勝の娘である小松姫を真田信之へ嫁がせて懐柔するきっかけともなった。

真田氏はその後豊臣政権に臣従しており、上田合戦に至るまでの諸勢力との外交や数カ郡を支配する勢力拡大は、真田氏が小領主から大名化していく過程であると指摘される。

上田市立博物館には、神川合戦の合戦図が所蔵されている。

尚、この上田合戦に連動して天正13年(1585年)9月から天正14年(1586年)5月まで間、沼田城にも北条氏が数回に渡って攻撃を仕掛けていたが、昌幸の叔父にあたる城代矢沢頼綱(矢沢頼康の父)が撃退に成功している。

第二次上田合戦
第二次上田合戦
戦争:上田合戦
年月日:1600年
場所:上田城
結果:真田軍の勝利
交戦勢力
真田軍 徳川軍
指揮官
真田昌幸
真田信繁 徳川秀忠
戦力
2,000 38,000

昌幸や徳川家康、上杉氏は豊臣政権に臣従。後北条氏は天正18年(1590年)からの征伐(小田原合戦)により滅ぼされ、家康は関東に移封された。慶長3年(1598年)、秀吉が死去し、豊臣政権では五大老筆頭の地位にあった家康の影響力が強まる。反徳川勢力は五奉行の石田三成を中心に結集し、慶長5年(1600年)6月、家康が会津の上杉征伐の兵を起こして大坂を離れると、三成は毛利輝元を総大将として西軍を組織し挙兵した(関ヶ原の戦い)。昌幸は東軍を率いる家康に従っていたが、慶長5年(1600年)7月下旬、下野で次男・信繁とともに離反して上田に帰還し西軍に与した。これに対し、長男の信幸は東軍に従った。通説では、西東軍どちらが勝利しても真田一族が残れるよう分かれたとされる。

徳川家康率いる東軍は、下野国小山において三成ら西軍の挙兵を知って、軍を西に返した。この時、家康の本隊や豊臣恩顧大名などの先発隊は東海道を進んだが、徳川秀忠率いる3万8000人の軍勢は中山道を進んで西に向かった。そしてその進路に、真田父子が立て篭もる上田城があった。

秀忠は昌幸の嫡男・信幸に命じて、まずは無難に昌幸に対して開城を求める。老練な昌幸はのらりくらりと返事を先延ばしにして、時間稼ぎに徹する。秀忠は数日を空しく費やした後で昌幸の真意を知り激怒、上田城攻略を決意したとされる。このとき本多正信や徳川四天王の一人・榊原康政などは寡兵の真田氏を侮ることはせず、上田城を黙殺して西軍との主戦場(関ヶ原)に急ぐべきだと進言するが、土井利勝を始めとする戦場に疎い将が多かったこともあり、秀忠の決断を覆すことは出来なかった。そして牧野康成率いる手勢が昌幸の挑発に乗ったのをきっかけに戦端が開かれると、昌幸はわずか2000の兵力で徳川軍をかき回して混乱に陥れた。

兵力的に圧倒する徳川軍であったが、地形的に兵力の優勢を生かし切れず、逆に地形を完全に掌握している地元の真田軍に巧みに翻弄され、敗北を喫したのである。このときのことを『烈祖成蹟』は「我が軍大いに敗れ、死傷算なし」と記している。秀忠は上田城が予想外に頑強であることに驚き、上田城に押さえの兵を残して先を急ぐことにする。しかし、この上田での遅延だけでなく道中の悪天候も災いして、遂に9月15日の関ヶ原本戦に遅参するという大失態を犯してしまった。この失態に家康は激怒し、秀忠にしばらくは対面することすら許さなかったと言われている。また、結果的に大敗のきっかけを作った康成・忠成父子は部下を庇って出奔したため、一時謹慎となった。

この戦いで、美濃で行われた関ヶ原での決戦に秀忠軍を遅参させることに成功したが、肝心の関ヶ原では西軍の敗北に終わり、西軍に与した昌幸と信繁は戦後処理で死罪を命じられたが、信幸とその岳父である本多忠勝の助命嘆願などもあって、一命を助けられてはじめ高野山、のち信繁が妻を同行させることを願ったため九度山に流罪となった。

この2回の合戦について
この第一次、第二次の上田合戦は、それぞれ性格が異なる。

第一次は徳川氏と北条氏の和睦に伴う沼田領の帰属問題に端を発し、北条氏への沼田領引き渡しを求める徳川氏とそれを拒絶する真田氏の領地争い(意地の張り合い)の色合いが濃い。殊に真田氏にとっては、武田の旧臣から信濃の独立勢力として認められることが最重要であり、最後まで意地を張り通すことになる。結果的に徳川を撃退することで、真田の名を豊臣氏を始めとする有力緒将に知らしめることに成功した。

しかし、第二次では豊臣方(西軍)と徳川方(東軍)の軍事衝突(関ヶ原合戦)が避けられない状況下で、昌幸と昌幸の二男信繁が豊臣方(西軍)についたことが起因している。信濃国の大名がこぞって東軍に与するなか、あえて昌幸と信繁が西軍に与した理由は諸説あるが、昌幸の五女が石田三成の妻の実家である宇田氏に嫁いでおり、しかも昌幸二男信繁も三成と親交があり西軍に与した大谷吉継の娘を妻にしているという姻戚関係が、昌幸・信繁父子の選択に重要な影響を及ぼしたと言われている。逆に、昌幸の長男信幸は徳川家康の養女である小松殿を妻にしていたため、東軍として上田攻めの徳川秀忠隊に加わっている。この選択は、大名家としての家名存続を最優先と考えていたともされ、「名を売った」第一次とは根本的に異なる。

この2度の戦い通じて、真田昌幸という武将の名は「戦巧者」として全国に知られることになる。

2009年01月20日

英語人口

英語を第一言語としている人の数は3億8千万人程度で、言語人口第1位の北方中国語(約9億人)と比べかなり少ない。しかし中国語が主に中国国内および各地の中国人社会だけで通用しているのに対して、英語で意思の疎通ができるあるいは英語を理解できる人口を考えると状況は一変し、文句なしに世界最大の使用人口を誇る言語といえる。英米の影響などで英語が国際共通語として使われるようになったこと、商業言語として確立したこと、科学技術を伝達する主要な言語となったこと、さらにパソコンやインターネットの普及で英語を元に作られたプログラミング言語やマークアップ言語の需要が高まったこともあり、第二言語 (English as a Second Language; ESL) として用いる人口は約6億人に上る。外国語 (English as a Foreign Language; EFL) として英語を学習・使用する人も多い。そのため、世界各国でイギリス方言・アメリカ方言などの英語の枠組みを超えた「新英語」が出現するようになった。

Languages Spoken by more than 10 Million People (英語)

イギリスの英語事情

イギリスには、「容認発音(Received Pronunciation/RP、BBC English、Queen's Englishなど様々な呼称がある)」という伝統的な標準発音を用いた標準英語があったが、最近では「河口域英語 (Estuary English)」が新しい標準語として登場した。

英語以外に先住民族であるケルト民族の言語(ウェールズ語・ゲール語など)が話されている。イングランドによる同化政策を経てケルト諸語話者は激減したが、現在はウェールズ語などの復興策もとられている。

アメリカの英語事情
アメリカ合衆国もイギリスと同様に、国家の公用語に関する法的な文章が存在しない。ただし州レベルでは英語を公用語とする州や英語とスペイン語を公用語と明文的に定める州もある。初期の頃は西ヨーロッパ系(特にゲルマン系)の移民が多く、英語優位の状況が確保されていたが、次第に東欧・南欧系が増え、さらにアジア・中南米(ヒスパニック問題を参照のこと)からの移民が大量に押し寄せてくると、英語の地位が揺るぎかねないといった風潮が英語話者(アングロ・サクソン系)の間で生まれてくる(イングリッシュ・オンリー運動)。

いずれにしても英語が国家の言語(国語)として通用しているのは事実で、教育の分野においては「バイリンガル教育かモノリンガル教育か」といった趣旨の問題がたびたび持ち出される。

カナダの英語事情
カナダは元英領植民地であった地域だが、その英領植民地にそれ以前はヌーベルフランスであり、今でもフランス語が使われ続けているケベック州があることから、カナダ全体の公用語として英語とフランス語の両方が制定されており、連邦政府のサイトや企業の商品説明などは全て英仏両言語で行われている。また、アメリカ合衆国が隣に位置していることから、旧英領であるとはいえ、オーストラリアやインドなどほかの旧英領植民地とは違い、比べるとカナダの英語はイギリス英語よりもアメリカ英語に近いが、単語の綴りとしてはイギリス英語式を採用することが多い。ケベック州ではフランス語が公用語であることから、英語を母語とせず英語運用能力が高くない人も少なくないが、ケベック州以外ではほとんどフランス語が使われないこともあり、カナダ英語におけるフランス語の影響は皆無に近い。

[編集] オーストラリアの英語事情

現在オーストラリアで話されている英語は、イギリス英語が訛ったものである。訛りは比較的強いが、アメリカ英語程変化は激しくなく、オーストラリア映画などは他の英語圏でもイギリス英語を理解できるものなら分かる。
バニラ ラバー 野かんぞう シバナ ナムル 青じそ ネムノ マンナン シュミー 春の小川 スキル マルシー フライ イノベー フェロール ウシカ おすすめ ライフ シュー スタイ ラードダ カタクリ 桜桃 ステッカ バイオ ドリフト テキス サイト刈穂 ルクラス シャンパン ピン幸運 ドラキュラ ヨード パレス トレー しりもち くさなぎ アックス すたー るはーぶ ワイルド ぴおーね 天使のア シスタ リライト ランス ナルキ サイバ グロブリン ポイント

英語に関する資格試験

日本における英語
江戸末期にアメリカからの使節と交渉する必要が生じ、日本での英語の歴史が始まった。ジョン万次郎が著した日本最初の英会話教本には、(日本語とは語順の違う)英文の意味を取りやすいよう、漢文のような返り点が打たれていた。

今日、日本における英語は日常生活に必要不可欠なものとはなっていない。あくまでも科学技術や諸制度の吸収のための手段や通商の道具(商業英語)という位置付けである。

高校・大学受験、各種学校の必修・選択単位取得においては、英語を読解する能力が重視され、英文和訳を中心とした授業が行われている。アメリカ英語を正統、イギリス英語をオプションとして取り扱うケースが一般的であるが、これは世界の英語学習のなかでは特異な例に属する。また、せっかくの読解能力も日本語での出版活動が盛んであること、多くの英語の書籍が日本語へ翻訳されることから日常生活ではあまり役立たない。

一方、英語を「話す」、「聞く」能力を特殊技能と見なす傾向が、日本には認められる。これは、日本ではイギリスの植民地であった国々とは違って、大学の講義が英語ではなく母語(日本語)で受けることができること(母国語で講義を受けることのできない国の方が多い)、英語を母語とする外国人が 1% も国内に居住していないなどの複合的な要素によって、日本国内では英語を話す、聞く必要性に乏しいためである。