« デジタルコンピュータの意識 | メイン | アナキズムまたはアナーキズム »

考古学の位置づけ

アメリカでは考古学は人類学の一部であるという見解が主流であるが、日本では従前より歴史学の一分野とみなされる傾向にあり、記録文書にもとづく文献学的方法を補うかたちで発掘資料をもとに歴史研究をおこなう学問ととらえられてきた。ヨーロッパでは伝統的に先史時代を考古学的に研究する「先史学」という学問領域があり、歴史学や人類学とは関連をもちながらも統合された学問分野として独立してとらえられる傾向が強い。
考古学は比較的新しい学問であり、18世紀末から19世紀にかけて地質学者のオーガスタス・ピット・リバーズ[3]やウイリアム・フリンダース・ペトリ[4]らによって組織的な研究が始められた。特筆すべき業績が重ねられいき、20世紀にはモーティマー・ウィーラーらに引き継がれた。
学力向上!漢字王国
白い花の花言葉
北の国・北海道マップ
暮らしの知恵袋
ラファエロのタレントになる学校選び
ハンズの野球のツボ
マーメイドの地図探し
ゆかいな塾の先生
炎神でアニメソングメドレー追跡
懸賞の秘密ちゃんねる
健康一番玉手箱
Carタイムへ急げ
芸能界デビューのチャンス
ひだまりの湘南ビーチ
奥様ご用達ご当地グルメ
仕事探しはここからスタート
初心者の投資問題解決!
姉妹の温泉三昧
フラッシュのオーディション参加
省エネルギーのコツを紹介
生活費の節約法
ドライブ計画サポートスペシャル

日本では、動物学者であったエドワード・モースが1877年(明治10年)大森貝塚の調査を行ったのが、日本近代考古学のあけぼのとされる。しかしモースの教え子が本来の専攻である動物学に進んだため、モースが科学として開いた近代考古学は順調に進まなかった。第二次世界大戦が終わるまで日本の歴史学は、天皇制国家権力の厳しい監視下にあった。なかでも考古学は、皇国史観の歴史と真っ向から対立する客観的資料を学問の基礎に置くため、異常なほど厳しい社会的・政治的・イデオロギー的に制限が加えられていた。国立大学における考古学の講座は京都帝国大学にただ一つ存在した。帝室博物館などは、美術的・珍希的品々の収集と展示の場としてのみ存在した。このような環境において研究者は、皇国史観に積極的に妥協・追随する者も出た。しかし、一方皇国史観に反対し弾圧される者もいた。その他の大勢は、思想性を抜きにして、個々の事実に対する研究に終始した。そして、ごく少数であったが、戦後の考古学に継承するに足る成果を収めるものもあった。


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.nmypwc.biz/blog/mt-tb.cgi/1190

About

2009年06月29日 22:11に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「デジタルコンピュータの意識」です。

次の投稿は「アナキズムまたはアナーキズム 」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35